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大阪地方裁判所 昭和44年(わ)4178号 判決 1973年3月22日

主文

被告人は無罪。

理由

一、本件公訴事実の要旨は、

被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四三年八月二四日午後七時四〇分ころ、鹿児島県出水郡高尾野町下水流二、一七〇番地の三先路上(幅員8.1メートル)を、普通乗用自動車を運転して、鹿児島市方面から水俣市方面に向かい時速約六〇キロメートルで進行中、前方約七、八〇メートルの道路右側の石油スタンドから道路右側車線へ約三メートルくらい自動車の後部をはみ出して一旦停止している大型貨物自動車(後退灯点灯)を認め、同車右後部附近路上に川添貞二(当時四三才)の姿を認めたのであるが、このような場合、自動車運転者としては、同車が後退のため自車の進路へ進出して来ることのあることが予測されるから、直ちに減速して、できるだけ道路の左端によつて進行し、警音器を吹鳴して警告を与え、同車の動静を確認しその後方を通過し、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、同車が後退灯を点灯しているのを看過し、右ガソリンスタンド内に入つて行くものであると速断し、警音器を鳴らさず、かつ同車の動静に注意をはらわなかつたため、右川添の誘導で同車が後退しており、自車に向つて停止するよう手を振つて合図をしているのに気付かず、前同一速度のまま、漫然左側道路の中心寄りを進行して通過しようとした過失により、右大型貨物自動車が後退するのを約二〇メートルに接近してようやく気付き、急制動するもおよばず、自車右前部を相手車の左後部に衝突させて自車を暴走させ、よつて、自車に同乗していた前野道子(当時二三才)に頭蓋底骨折等の傷害を負わせ、翌八月二五日午前四時ころ、出水市大字六月田字梶場一、八九三番地の三所在井上病院において死亡するに至らせ、同甫立好子(当時二九才)に全治約一ケ月間を要する頭部打撲傷等の傷害を、同甫立仏(当時四一才)に治療約一ケ月間を要する頭部打撲傷等の傷害をそれぞれ負わせたものである。

というのである。

右公訴事実中、その日時場所において、被告人車が後退中の大型貨物自動車に衝突し、一名が死亡し二名が負傷した点は、本件証拠上明らかであるが、当裁判所は、後記のとおりの事実関係のもとでは、本件事故について被告人に公訴事実に記載のような過失があるとする検察官の主張は採用することができないと考える。

二、事実関係

(一)、<証拠・略>

本件事故が発生した現場は、別紙図面のとおり、幅員が約7.85メートルの歩車道の区別がない(ただし、南側部分は約1.08メートル、北側部分は約0.8メートル幅にそれぞれ白線が引かれている)、コンクリート舗装の国道三号線が東西に一直線に延びた、見通しのよい車道上であつて、道路に面した南側に川添石油店があり、西方約四〇メートルには南北道路と交差する交差点がある。本件事故当時には、右石油店敷地の西側に沿つて道路際まで、地上よりの高さ約2.55メートルのブロック塀が設置され、さらにその西隣りの自動車置場には、竹藪が道路際まで繁茂していた。

本件の大型貨物自動車は福田義信が運転していたものであるが、同車は車高2.8メートル、車幅2.49メートル、車長9.98メートル、最大積載量一一トンの右ハンドル車で、当時操行ならびに制動装置に異常が認められなかつた。福田は、右車両に屑鉄約七トンを積載して阿久根方面から熊本方面に向かい運送途中、給油のため前記川添石油店に寄り、車首を同店事務所前一杯につけて停車した。同車運転席からの西方道路に対する見通しは、前記ブロック塀のため全くきかず、福田は、給油後、白色の肌着上下を着けた同石油店主人川添貞二の誘導により、右にハンドルを切りながら後退を始めた。そして、西行および東行各車道を横切るように円孤を描きながら後退して、車首を東に向きかえたうえ、再び熊本方面に向け発進する予定であつた。

川添は、福田車の右後部附近で誘導を行ない、後退開始後、被告人車より先行東進して来た一台の乗用車を通過させるべく福田車に一旦停止を命じた。この合図により福田車は、その左後部角が道路中央線より約1.55メートル南側の地点に至り、その車体後面の延長線が道路中央線と約二五度の角度で交差する程度に、車体後部を右に振つた状態で、チェンジレバーをバックに入れたまま停止した。そして、右先行乗用車が福田車の後を東進通過したので、川添は福田車に再度後退可の合図をなし、これに従つて福田車はは後退を再開し、その二度目の後退途中で同車左後部角が被告人車右側面部と衝突した。福田は、右衝突の前に被告人車のタイヤスリップ音を聞いて直ちに制動したが、間に合わず本件衝突に至つたが、衝突後、福田車はなお約一メートル後退して停止し、一方、被告人車は約一九メートル左前方に暴走し、道路左側の耕運機に乗り上げ別紙図面5点で停止した。その衝突地点は、福田車の左後部角が道路中央線より約0.55メートル北側の東行車道上に進出した、別紙図面の4点であり、同地点まで被告人車の急制動によるタイヤスリップ痕が左車輪で約16.38メートル、右車輪で約4.88メートルにわたつて残されていた。

(二)、さて、被告人の警察、検察庁および法廷における各供述を総合すると次のようになる。

被告人は、本件被害者らを同乗させて、本件事故当日の午後五時四〇分ころ、大阪に帰えるべく鹿児島を出発し、以後国道三号線を走行中、阿久根市の手前で大阪ナンバーの乗用車に追抜かれてから、同車の後方を約五〇メートルの車間距離を保ちながら、時速約六〇キロメートルで追従進行していた。そして、別紙図面1点(衝突地点より約76.2メートル)にさしかかつたとき、前方の川添石油店内に車首を突込んでその運転席部分が前記竹藪や塀のために隠れ、後部荷台を対面車道上に突き出し、その後部が道路中央線より約一メートルの附近にまで来て停止している福田車を発見した。そして、前記交差点にさしかかつたとき、右先行車が福田車の後方を通過したのを見、さらに、時速五〇キロメートルの制限標識があるのを見て、アクセンルを離し、このためチェンジレバーは自動的に三速に入つた。このとき、左方道路から交差点に向け進行して来た軽自動車が砂煙を上げて停車するのを見て、自車を道路中央線寄りに走行させたが、そのときの速度は時速約五〇キロメートルくらいになつており、その速度を保持して右交差点を通過し、その東側横断歩道上の別紙図面2点(衝突地点より約33.2メートル西方)で再び福田車を確認した。そのとき、同車がなおも右状態で停止しているのを見ると同時に、川添石油店西北角のサインポールの下附近に、白シャツの男が塀によつて隠れている福田車の運転席の方を向き、同車を誘導するような気配がなく佇立しているのを認めた。そして、福田車が自車の通過まで後退しないものと考えてそのまま進行したところ、別紙図面3点(衝突地点より約21.7メートル西方)に来たとき、福田車が急にまわり込むように後退を始めたのを見て、急制動措置をとつたが間に合わず、本件衝突事故が発生したというのである。

(三)、そこでまず、被告人が衝突前急制動措置をとつた際の初速度について検討する。

自動車が走行中急制動措置がとられた場合、その制動距離(これはほぼタイヤスリップ痕の長さと同一である)をS、路面とタイヤの摩擦係数をf、急制動措置がとられた際の初速度(時速)をVとすると、この三者の関係は、

という算式で表わされる。本件の場合当時の現場道路は乾燥したコンクリート舗装であつた(昭和四三年八月二五日付実況見分調書)から、右fは0.75程度と考えてよく、急制動の結果16.38メートルのタイヤスリップ痕が残されていたことから、右と同じ制動距離をもつて停止する場合の時速を右算式によつて計算すると、

となる。

被告人車は、衝突によつて大破しながら、なおも約一九メートル進行している事実からすると、右計算結果以上の速度がでていたのではないかと一応考えられるが、被告人車の破損は、一一トンの大型貨物車で約七トンの積荷をしている、そして衝突後もなお約一メートル後退して停止した福田車の、その後退中の衝突によるものであつて、被告人車だけの速力によるものではないこと、衝突後の被告人車の暴走が衝突までの被告人車の速力の惰性によるものか、或いは衝突の際被告人車の走行装置の故障、または被告人が誤つてアクセルを踏み込んだことによるものか本件証拠上明らかでないことからすると、一概に右計算結果以上の速度であつたといいうるか問題である。

被告人車の速度につき、川添は、時速七〇ないし八〇キロメートルであつた(同人の第一回尋問調書)、また時速一〇〇キロメートルくらいで、八〇キロメートル以上はでていた(同人の第二回尋問調書)というのであるが、夜間接近して来る自動車の速度をその前照灯の光によつて判断することは困難なことであり、まして、同人は、被告人車が別紙図面の交差点西側に接近して後に、身の危険を感じて逃走したというのであるから、被告人車の速度に関する同人の右各供述の信用性には疑問がもたれる。

右のとおりであつて、被告人が本件衝突前急制動措置をとつた際の被告人車の速度は、本件証拠上約五六キロメートルであつたと認めるのが相当であろう。

(四)、次に、福田車の後退状況について検討する。

福田車が被告人車の先行車を通過させるため、チェンジレバーをバックに入れたまま一旦停止したことおよび当時の福田車の装置に異常が認められなかつたことはさきに認めたところであるが、このことからすれば、一旦停止している際福田車の白色後退灯が点灯していたことは容易に推認できるが、また、この点については、本件事故直後に福田車による後退実験をした際、その後退灯が点灯していたことが福田の尋問調書および昭和四三年八月二五日付実況見分調書添付の写真から認められるところであるから、右のように認定して差支えないと考える。この後退灯は、福田車の右後部真横からみてもその点灯状況を認識しうるし前記(一)認定のような、その後部を右に振つた斜めの状態で停止している場合、後退灯の点灯状況は、別紙図面1の地点からも明確に認識しうることは、第二回検証および夜間検証の各調書ならびに実況見分実施結果報告書より認めることができる。

福田車は、右のように一旦停止をして先行車の通過を待ち、次いで川添の合図によつて後退を再開したのであるが、右一旦停止後本件衝突までに後退した距離は、同車右後部角の直線移動で約2.60メートルであつたことは第二回検証調書のとおりであり、その後退が直線でなく、多少カーブを描くことおよび同車左車輪は右車輪よりも長い距離を回転することを考えると、その間の距離を約三メートルと考えてよいであろう。

そして、その間後退速度について、川添の第一回尋問調書によると、人の歩くより遅く、のそのそ這つて行くくらいの速度であつたといい、同人の第二回尋問調書によると、子供が四つんばいになつて歩くくらい、よちよち歩くくらいというのであり、福田の供述によると、人の歩くより遅い速度(同人の供述記載)というのである。当裁判所が第二回検証時に福田をして事故当時と同一速度という要求で後退実験をさせたところ、同人はブレーキを踏み踏み後退して、前記距離を後退するのに14.7秒も要した結果が出ており、同人の尋問調書によると、二〇秒か三〇秒くらいであつたというのである。ところが、同人の供述記載によれば、後退再開後の速度は、当初後退を始めて一旦停止するまでのそれと同じくらいとして、第一回目の後退距離約二ないし三メートルの間を後退するのに要した時間を四、五秒と供述している。この点、被告人自身、一〇トンのミキサー車を使用して後退実験をしたところ、二メートルの間を普通に後退するのに二秒くらいであつた旨供述する(当公判廷における供述)。夜間といつても午後七時四〇分ころの、比較的交通量の多い国道三号線上を西行および東行の両車線の交通を妨害する状態で後退するのに、誘導者がいない場合はともかく、川添の誘導を得ながら僅か三メートルの距離を後退するのに、前記検証時の実験のような時間を要するというのは到底採用できない。

被告人は、野退を始めるのを見て急制動措置をとつた旨供述する。被告人自身、当初停止していた福田車を発見したとき、福田車の赤色制動灯を認識しておらず、その制動灯が消えて動き出したというのではないから、果して、後退を始めたのを見たのか、すでに後退中であるのを見たのか問題がある。福田の供述記載によると、一旦停止をしていたときにはブレーキを踏んでいたというから、その制動灯は点灯していたものと思われるが、果して後退再開直前までずつとブレーキを踏み続けていたかは明らかでなく、仮にそうだとしても、夜間のこと故尾灯も点灯しており、それと制動灯とは同じ赤色で混同し易いということも考えなければならない。一方、後記のとおり、福田車の後退再開時の被告人車の位置についての川添の各尋問調書は、いずれも採用し難く、別紙図面1地点で福田車の停止を認め、次いて同2地点にまで接近して再確認したところ、なおも福田車の停止を認めたからこそ、従前の速度のまま走行したという被告人の供述を併せ考えると、制動灯を認識していなかつたことだけから、被告人の前記供述を排斥することはできず、他に右供述の信憑性を阻害する証拠はない。そこで、被告人が福田車の後退開始に気付いて急制動措置をとり、福田車と衝突するまでの時間、それを時速五六キロメートルの自動車が制動停止距離を走行する時間として計算すると、被告人が職業運転手で運転操作に熟練していることより空走時間を約0.7秒とし、これに時速五六キロメートルの制動時間約2.2秒(法曹会・交通事件執務提要二五三頁)を加えた約2.9秒が右に相当する。(被告人車の速度が右以上であれば、それだけ右時間は減少することになろう)。そうすると、福田車が後退再開後本件衝突までに要する時間も、右と同一と考えられるから、その後退速度は秒速約一メートルであつたということになろう。この計算結果は、前記被告人自身の実験結果と符合するし、また、福田が被告人車の急制動音を聞いて制動したが、停止しないまま被告人車と衝突し、衝突後なおも一メートルも後退してはじめて停止している事実から、それ相当の速度がでていたと思われるのであつて、このことからも首肯しうるところである。この点、被告人は「急にまわり込むような」速度という供述をしているが、当を得た表現といいうる。

以上検討して来たところから、福田車が後退再開後本件衝突までに要した時間は約三秒程度であつたものと認めるのが相当である。そうすると、福田車が後退を再開したとき、被告人車がどの地点にいたかは、次の計算によつて知りうる。16.38(スリップ痕)+{15.56(時速56キロの秒速)×0.7(空走時間)}+15.56×{3−2.9(制動停止時間)}≒28.83

すなわち、被告人車は衝突地点から約28.83メートル西方にいたことになり、被告人が福田車の後退開始を見た地点とはやや相違するが、別紙図面2点で再確認したとき、福田車がなおも停止していたという被告人の供述には符合する。

(五)、次に、川添の誘導状況について検討する。

川添が福田車の右後部附近で後退誘導をしていたことは、さきにみたとおりであるが、同人は、被告人車の先行車が福田車の後を通過してから西方をみると、被告人車が接近して来るのを認めた旨供述しているが、そのときの被告人車との距離について、警察では約五〇〇メートル、検察庁では約八〇〇メートルといい、第一回検証時には、西方にある橋(第二回検証調書によると、この橋は衝突地点から約231.75メートル西方にある)の向うだつたとし、第二回検証時には、その橋附近であつた、その橋は前照灯により間違いなく見えた旨供述するに至つた。夜間前照灯のみによつて距離を判断することは至難なこととはいえ、川添の供述には右のように大きな差異があり、また、夜間検証の結果から明らかなように、同人が間違いなく見えたという橋は、自動車の前照灯の光によつてもこれを認識しえないというに至つては、果して、川添が被告人車の接近を知つていたのか疑問といわざるを得ない。

次に、川添は、福田車に後退再開を命じ同車が後退を始めてから、西方を見ると被告人車が接近して来るので、道路中央線附近で、被告人車の方に向つて停止するよう合図を送つたが、なおも被告人車が走行を続けるので、福田車に停止を命じ、次いで身の危険を感じて、道路南端側まで走つて逃げた旨供述している。

この点、福田は、後退再開後、川添が道路中央線寄りで阿久根(西方)方面を向いて手で合図していた旨供述する(福田の供述記載および尋問調書)。しかし、右供述には、果して右事実があつたのか疑わしめる不明確さのあることは否定できず、右供述記載によると、川添の右合図を自車に対する後退合図と思つたというのである。一方、川添が被告人車に停止の合図を送つたときの被告人車の位置について、川添は、約一二〇ないし一三〇メートル西方(第一回尋問調書)、約六七メートル西方(第一回検証調書中の同人の指示説明)、約64.6メートル西方(第二回尋問調書および第二回検証調書中の指示説明)というのであつて、その距離にも差があり、また、僅か六〇余メートルに接近して来た直進車に対し、手によつて停止を合図するよりも、まず、いまだ道路中央線を越えていない福田車に対し停止を命じる方が安全かつ容易であり、誘導者として当然なすべきことであると考えられること、川添自身、被告人車に対し手で合図したといいながら、その合図の仕方の供述が曖昧で一定しないこと、さらに、さきに認定した福田車の後退時間中に、被告人車への合図、福田車への合図そして逃走行為をすべてなしうるか疑問であることなどの各点を考えると、川添の前記供述をそのまま信用することは困難であるといわねばならない。

三、さて、検察官は、本件事故に対する被告人の過失として、減速義務、道路左端通行義務、警音器吹鳴義務および福田車に対する動静確認義務の各懈怠を主張する。

このうち、動静確認義務としては、起訴状の記載によると、「警音器を吹鳴して警告を与え、同車の動静を確認してその後方を通過し、云々」となつているから、まず警音器を使用し、然る後に福田車がどういう動静をとるかを確認して進行すべきであるというのであれば、警音器吹鳴義務の存否をまず検討しなければならないが、警音器の使用と関係なく、いわゆる前方注視義務と同一範疇の義務というのであれば、まずこの義務から判断しなければならない。

被告人は、別紙図面1地点、つまり衝突地点から約76.2メートル西方に来たとき、福田車が前記二、(一)に認定した状態で停止しているのを認め、次いで約四三メートル進行した別紙図面2地点に来て福田車を再確認したときも、同様停止状態を見たというのであり、この供述は、これまでに検討して来たところからして排斥する理由がない。そうすると、福田車の制動灯および後退灯の各点灯状況を看過していたとしても、その動静確認を怠つたものということはできない。

問題は、右1および2地点で、福田車の後退灯の点灯を認識していなかつたことから、被告人が福田車の後退を予測しなかつたのではないかという点であるが、この点について、被告人は、福田車が後退するかも知れないという予測よりも、福田車としては、被告人車が通過するまでに後退できないと考えたというのである。

道路交通法二五条の二、一項には、車両は…他の車両等の正常な交通を妨害するおそれがあるときは、……後退してはならない旨規定するが、ここに「他の車両等の正非な交通を妨害するおそれがあるとき」とは、当該道路の幅員、車両の大きさ、交通量、他車両との距離とその速度、後退等の方法やそれに要する時間などの具体的状況に照らし、後退等によつて他車両等に直ちに事故発生の危険を及ぼすような場合は勿論のこと、その他車両等の運転者をして事故発生を避けるために急制動、一時停止、徐行或いは異常な進路変更など従前からの運転方法を著しく変更させる措置をとることを余儀なくさせるような場合も含むと解すべきである。

本件の場合、これまでに認定して来たとおり、福田車が後退を再開したとき、被告人車はすでに約二九メートル弱の地点に接近していたのであり、被告人がこのとき急制動措置をとれば、時速五六キロメートルの制動距離からして、或いは本件事故を回避できたかも知れないが、このような場合の後退は、右道路交通法の規定に違反することは明らかであり、被告人として、かかる至近距離に自車が来ているのに、福田車が後退することを予測しなかつた、それよりも後退はできないと考えたのは至極当然のことであり、これを予測しなかつたからといつて、その点を問責することはできない。

問題は、右地点の前である別紙図面1地点および2地点ではどうかということである。まず、右1地点においては、被告人車の先行車がいまだ福田車の後を通過する前である(被告人車と先行車の車間距離について、川添の供述が措信しえないことはさきに検討したとおりであり、約五〇メートルとする被告人の供述を排斥するに足る証拠はない)から、この時点において検察官主張のような義務違背を考えるのは相当でない。右先行車が通過後、被告人が2地点で福田車を再確認したときにおいても、それが衝突地点から約33.2メートルの距離しか離れておらず、この場合に福田車が後退すれば、被告人としては急制動とまで行かなくても、これに準ずるような回避措置をとることを余儀なくさせられることは明らかであり、かかる後退も違法であることはいうまでもなく、被告人として、右2地点に至つた段階で、福田車の後退を予測しなかつたとしても不当ではない。

ただ、本件の場合、被告人が2地点に来て福田車を再確認したとき、同車運転席が竹藪や塀によつて隠れて見えず、また、被告人において誘導者らしい人物を認めなかつたというのであるから、この時点で、福田車に対し、自車の接近を知らせ警告を与えるため警音器を吹鳴しておれば、これは気付いて福田車が停止し、或いは本件事故を避けられたかも知れない。そういう意味で、被告人に右義務違背を一応認めてよいが、さきに述べたとおり、被告人としては、右時点において福田車が後退しないものと考え、そのように考えたことが距離的にみて相当と思われることのほか、本件では、福田車側に被告人車の接近を知りうる方法が全くなかつたというのではなく、川添という誘導者がいたのであるから、被告人において警音器を吹鳴しなかつたからといつて、これをもつて本件事故の過失として捉えるのは相当でなく、本件では、むしろ、誘導者川添の誘導の不手際にこそ事故発生に対する原因を求める方が筋合というべきであろう。

右のように、被告人車の先行車が福田車の後方を通過した後、被告人車の通過までの間に福田車が後退することは違法な後退というべきであり、被告人車に優先通行権があると考えられるから、従前の速度を減速したり、また道路左端を通行する必要はなく、かかる措置をとらなかつたからといつて、被告人に過失があると考えることはできない。

以上のとおりであつて、本件においては、被告人に検察官主張のような過失をいずれも認めることができず、結局犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し無罪の言渡をする。 (逢坂芳雄)

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